「コーヒーは好きだけど、歴史はちょと苦手」
「コーヒーが好きだから、もっとコーヒーについて知りたい!」
というコーヒー好きの方に向けて、コーヒーの面白い伝説・愛の物語についてご紹介します。歴史や文章を読むのも苦手な人にも分かりやく表現することを心掛けていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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コーヒーの歴史の始まりは”カルディコーヒー”から!?
ショッピングモールや、百貨店でよく見る人も多いのではないでしょうか。
青い看板のコーヒー豆と雑貨を販売しているあのお店です。
実は、あの”カルディコーヒー”とコーヒーの発祥には深いつながりがあるんです。
カルディ少年が世界で初めてコーヒー豆をみつける

西暦800年頃のお話。エチオピアの山奥にヤギ飼いのカルディ少年がいました。
ある日、カルディ少年とヤギの群れは、山を歩き疲れたので休憩をすることにしました。一匹のヤギが、赤い実をパクっとたべると、ヤギはみるみる元気になり、飛び跳ね踊りだしました。それ見た他のヤギも、赤い実を食べ、飛び跳ね踊りだしました。
カルディ少年は、ヤギたちが元気になったのを不思議に思い、赤い実を食べてみました。
すると、赤い実を食べると活力がみなぎってくることに気づき、カルディ少年もヤギたちと楽しく踊り続けました。
カルディと踊るヤギの群れに、一人の僧侶が気づきました。僧侶は、カルディ少年からこの不思議な赤い実の話を聞き、大変興味をもちました。僧侶も同じ茂みから数粒の実を砕いて粉末にして、熱湯を注ぎました。この液体を飲んでみた僧侶はエネルギーが沸いてくることに気づき、すぐに修道院に戻って、仲間の僧侶たちに伝えました。
カルディ少年が発見した、赤い実こそ”コーヒー”だったのです
イスラム教徒が夢中、コーヒーのカフェインでお祈り中も眠くない!

カルディ少年がイスラム教の僧侶にコーヒー豆を持ち込んだことで、イスラム教徒の間で、コーヒー豆を煮だしたコーヒーを飲む文化が生まれました。コーヒーを飲むとイスラム教の長いお祈りの時間も眠くならずに済みます。コーヒーは悪魔を追い払うものとして信じられ”神の贈り物”と称される秘薬でした。
1000年代 アラブ商人によって初めてコーヒーが栽培される
アラブ商人たちがアラビア半島のイエメンにコーヒーを輸入し、イエメンでは史上初めてコーヒー豆の栽培がおこなわれました。
その後、イスラム教がアフリカ、地中海、アジアへと広がる中でコーヒーも一緒に広まりました。しかし、イスラム教のアラブ商人たちは賢かったのです。コーヒー豆の栽培をアラビア半島だけで行えば、アラブ商人だけが儲けることができます。そのため、アラビア半島以外に持ち運ぶ時には一度コーヒー豆を沸騰させてから運びました。アラビア半島以外で、コーヒー豆が発芽しないようにしてしまったのです。
コーヒーがビジネスの中心に。コーヒーハウスがヨーロッパに広まる歴史
トルコ 世界初「コーヒーハウス」が誕生

1600年頃、トルコの首都イスタンブールに世界で初めてコーヒーを提供するお店「コーヒーハウス」が誕生しました。これをきっかけに、イスラム世界でコーヒーハウスが広まります。実際にコーヒーがどのように提供されていたかというと、大きな鍋でコーヒーを温めて、調味料のカルダモンを振り、小さな器で提供されていました。イスラムのコーヒーハウスは、男性専用の社交の場でした。男性なら階級に関係なく利用することができ、庶民や知識人が集まり、政治を語り、文学の朗読会を行う社交の場になっていました。コーヒーハウスでは政治的な議論の場となることもあり、権力者から弾圧を受けることもありました。
女性はコーヒーハウスに入ることを禁止されていましたが、コーヒーを薬として飲んでいました。
イタリア ヨーロッパ初のコーヒーハウスが誕生

1700年頃、イスラム世界との貿易が盛んだったイタリアのベネチア商人がコーヒーをイタリアに持ち帰って販売し始めました。ヨーロッパではお酒に代わるドリンクとしてコーヒーが広まりました。コーヒーハウスは、ヨーロッパの人たちにとっての社交の場になりました。コーヒーハウスは、お酒は出さず、コーヒー、チョコレート、たばこを楽しみながら新聞や雑誌を読み、客同士で政治談議をしていたと言われています。
コーヒーハウスは、イタリア以外にもロンドン、パリと様々なところでオープンするようになり、ヨーロッパ中にコーヒーが普及し始めます。
イギリス コーヒーハウスからビジネスが生まれる

イギリスロンドンのコーヒーハウスでは、市民に広く利用されていました。コーヒーと一緒にタバコも吸いながら、世界中の植民地から集まる情報の交換を行い、新聞の観覧場所としても活用されていました。また、個人宅に郵便をする技術が発達していなかったことから、コーヒーハウスに手紙を預けて郵便局代わりとしても利用されていました。それ以外にも、株式取引、保険契約、ジャーナリストの情報収取の場としても使われていました。
イギリスでは、だれでもお金さえあれば入って自由に談話する事が出来たことから、貴族から泥棒まで利用していたと言われています。
有名なコーヒーハウスに「ギャラウェイ・コーヒー・ハウス」があります。このコーヒーハウスで株式の売買が行われるようになると、それが発展し、証券取引所が生まれました。
今や世界的な保険市場である「ロイズ」は、「ロイズ・コーヒーハウス」から誕生しました。ロイズ・コーヒーハウスには船主たちが多く集まり、店で船舶雑誌の出版や、船舶保険業務を取り扱うようになったことが「ロイズ」の起源といわれています。
フランス カフェの原型「カフェ・プロコップ」が開業

1670年代にパリで初めてコーヒーハウスがオープンしていましたが、カフェの原型と言われているのは1686年に開業した「カフェ・プロコップ」です。
カフェ・プロコップは、今までのコーヒー店とは異なる次元の違う、大理石、鏡、シャンデリアのある豪華な内装、上流階級をターゲットにしたお店としてオープンしました。プロコップの登場により、カフェ=上流・知識階級という考えがフランスに浸透します。プロコップでは、コーヒー、紅茶、ココア、レモネード、アイスクリーム、リキュール類がメニューにありました。プロコップは、繁華街にあり、劇場関係者や観客でもにぎわうお店でした。
カフェ・プロコップ以外にも、フランスのカフェ黄金時代を代表するカフェがあります。「カフェ・ドラ・レジャス」です。カフェ・プロコップと同じように、シャンデリア、鏡、大理石のテーブルで飾られた豪華なカフェとしてオープンします。カフェ・プロコップは哲学者・知識人が議論のために利用していましたが、カフェ・ドラ・レジャンスは、コーヒーの飲み物と一緒に音楽、演劇、ゲームも提供されていました。特にチェスが名物で、ゲーム喫茶として愛されていました。
コーヒーの木は何度も盗まれる!ヨーロッパで栽培されるようになるまでの歴史

1690年代、長い間コーヒー豆の栽培はアラビア半島で独占栽培されていました。しかし、コーヒーがヨーロッパに広がるにつれ、豆の生産量が足りなくなってきました。
ある時、オランダ人がアラビア半島のモカ港からコーヒーの木を無断で持ち出しました。
オランダ領のスリランカ、インドのジャワ島で栽培が始まり、オランダアムステルダムはコーヒー取引の中心地となりました。
今でも“モカ”というコーヒー豆があることはご存じでしょうか?そう、先程出てきた、モカ港のモカから名づけられています。カフェに行くと、「カフェモカ」というドリンクがありますよね?カフェモカは、モカの豆が元々持っている甘い芳醇な香りをイメージして作られたドリンクです。エスプレッソを温かい牛乳で割り、チョコレートやホイップクリームを追加して作られています。
オランダは、フランス王国のルイ14世に、コーヒーの木を贈呈しました。ルイ14世はコーヒーの木を「聖なる木」として宮殿の庭に植えて大切に育てていました。
ある日、パリを訪れた海軍兵士がこの宮殿の庭からコーヒーの苗を盗み、フランス領マルティニーク島に持ち帰ってしまいました。これにより、フランスでもコーヒー豆が栽培されるようになりました。
ブラジルがコーヒー生産量世界一になった裏に愛の物語がありました

長い間、オランダとフランスはコーヒーの栽培を独占していました。
ある時、フランス領ガイアナとオランダ領の間で勃発した対立を仲裁するためにポルトガル領のブラジル人のメロ・パリエッタ曹長が送り込まれました。実は、仲裁以外にも、コーヒーの木を持ち帰るという使命がありました。しかし、見つかったら厳しい罰則が待ち受けています。パリエッタ曹長はフランスとオランダの仲裁業務をする一方で、社交界にも進出していきます。容姿端麗でスマートなパリエッタは、社交界の高官夫人の間で大変な人気となります。やがて、フランス領ガイアナの総監夫人と恋に落ち、二人は不倫しました。パリエッタは、コーヒーの木の任務のことを、夫人に打ち明けました。
仲裁の任務が終わり、パリエッタとの別れの晩餐会が開かれました。パリエッタには、総監夫人から花束が贈られました。実は、この花束の中にコーヒーの実と苗を隠し入れていたのです。この種がブラジルを世界最大コーヒー生産国の一つへと成長させるきっかけにさせたのです。
アメリカ独立戦争の歴史にコーヒーが関わっていた!ボストン茶会事件

1770年頃、イギリスはアメリカを植民地にしていました。アメリカでは紅茶の栽培をすることが出来なかったため、イギリスの東インド会社から輸入していました。
イギリスは、植民地のアメリカに不利な茶の法律を押し付けました。これに怒った植民地の人たちは、東インド会社の船に積まれた茶箱342箱を海に投げ捨ててしまいました。
ボストン茶会事件以降、アメリカでは、紅茶よりもコーヒーが飲まれるようになりました。このボストン茶会事件がきっかけで、独立戦争が起こったと言われています。
いよいよ、日本にコーヒーがもたらされる

1800年代、長崎の出島にオランダ商人がコーヒーを持ち込みました。コーヒーを飲んだ日本人は「焦げ臭くて味も耐えられなかった」という感想を残しています。日本は鎖国をしていたこともあり、江戸時代にはコーヒーは普及しませんでした。
開国後の横浜で西洋人をターゲットとしたコーヒーハウスがオープンします。西洋の食文化が日本に持ち込まれるようになると、それと一緒にコーヒーも飲まれるようになり、明治時代にはコーヒー豆が正式に輸入されるようになりました。
とはいえ、明治初期にはコーヒー文化は一般人には無縁なものであり、上流階級の一部に限られていました。一般人にも普及したのは大正時代に入ってからでした。
1888年4月13日東京上野に「可否茶館(かひいちゃかん)」という日本で最初の本格的なコーヒー店がオープンしました。当時の日本で珈琲は「可否」と記載されていました。
1960年代に日本でもインスタントコーヒーが販売されたことから、家庭でのコーヒー消費が加速しました。また、日本の食品メーカーから、世界初の缶コーヒーが販売されましたが売上げは良くありませんでした。失敗にも思われましたが、1970年の大阪万博をきっかけに缶コーヒーが広く普及するようになりました。
進化するコーヒーの技術革新の歴史

1900年 R.W.ヒルズがコーヒーの「真空包装」の技術開発に成功
1901年 イタリア人ルイジ・ベッゼラが商業用エスプレッソマシンの開発に成功
彼はコーヒーブレイクの時間を短くしたいと考え、ドリップ時間を短くできる機会を考案したともいわれています。
1903年 ドイツ人デカフェ技術を発明
1901年 日系米国人の科学者カトウ・サトリがインスタントコーヒーを発明
1908年 ドイツ人主婦メリタがコーヒーフィルターを発明
メリタ・ベンツはコーヒーの抽出しすぎによる苦味を防ぎ、美味しいコーヒーを入れるにはどうしたらいいか悩んでいました。ある日、息子が学校で使っている吸い取り紙を丸く切り、底に穴をあけて、金属製のカップに敷き、粉末に挽いたコーヒーを載せて、その上からお湯を注ぐと、粉末がカップに落ちずに済むことを発見しました。
1933年 世界初自動エスプレッソマシンを発明
1938年 ネスレがインスタントコーヒーの商業生産を開始
ネスレはフリーズドライ式のインスタントコーヒーを7年かけて開発に成功しました。ネスカフェの誕生です。アメリカのテレビ放送にコマーシャルが導入されたことで、ネスカフェの売上が更に拡大しました。
1958年 世界初の缶コーヒーが日本で誕生
1969年 UCC上島珈琲がミルク入り缶コーヒーを開発
さいごに
今回は、コーヒーの歴史について紹介させていただきました
・カルディ少年の伝説
・コーヒーはイスラム教とともに広がった。
・アラビア半島で独占栽培されていたが、盗まれ、世界で栽培されるようになった。
・昔は情報交換の場としてカフェが利用されていた。
・1900年代に家庭用・業務用の技術が目覚ましく発展した。
以上のことについて、お話しました。